青森鉄道巡礼の旅~「十鉄」の最期と連絡船を辿る。

「十和田観光電鉄に乗りに行きませんか?」

旧知の某編集長氏が声を掛けてくれた。青森の三沢から十和田市を結んでいる、十和田観光電鉄、通称「十鉄(とうてつ)」が間もなく廃止されるという。いわゆる「葬式鉄」というのは、余り僕はやった事が無いのだが、仕事や旅行で日本各地、あちこち出掛けている割に、青森という所は実はほとんど縁がなかった。

編集長氏が色々プランを練ってくれる、ということで1泊2日のスケジュールを見てみると、初日はこれまた間もなく退役近いJALのMD90で三沢へ。そこからまずは「十鉄」を堪能。青い森鉄道で、青森に移動し、さらには五能線に乗り五所川原へ。2日目はストーブ列車でおなじみ「津軽鉄道」に乗り、青森空港から羽田に戻る、という魅力的なプラン。

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と、いうことで十鉄廃止まであとわずかという2月の朝、早速、朝イチの羽田発三沢行きMD90に乗る。羽田空港は沖止めだったが、MD90への移動はマイクロバス。こんなのあるんですなぁ。

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機内の席は修行僧の必需品、JGCサファイアが効いたか、非常口座席に陣取る。羽田空港を離陸、MD特有の急角度な上昇を感じながら、一路三沢へと飛ぶ。

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「お!安全のしおりのMD90の絵が、新しいカラーリングの機体になってますよ!」早くも興奮する編集長氏と僕。編集長氏は取材バリに安全のしおりを床に置いて、「ブツ撮り」を敢行。

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機内のそこかしこに、導入された当時の時代をどことなく感じる。

興奮のうち、眼下には白い雪が見えてくる。

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飛行機は三沢空港に到着。

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タキシングが長い。それもそのはず、空港というものの、滑走路部分は米軍管理の空港。窓の外を見ていると、滑走路とターミナルの間にゲートがある。

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空港バスの表示に、さりげなく残る「JNR」という文字が、時代を感じさせる。

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ターミナル周りにも米軍基地の存在を感じさせるものが多い。ここは基地の街だ。

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ここからは早速「十鉄」バスで、三沢駅へと向かう。

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少し古びた観光バス下がりのような空港バスは、雪が残る三沢の街を駅へと走る。

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15分程で着いた三沢駅は、これまた味わい深い「ザ・昭和」という感じの駅舎。渋い。

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小雪がちらつく中、駅を見て回る。

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細長い駅ビルにはそば屋と売店、事務所。そしてビルの端にホームに繋がる改札口。

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一つ一つの看板、注意書きが古さを感じさせる。

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朝から余り食べていない事に気づき、そば屋で月見ソバをすする。「エキナカ」などと格好のいい店が跋扈する昨今、これぞ「エキナカ」の原点とソバをすすりながら、シミジミ感じる。

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外は雪に照らされて明るいのだが、駅の中のなんとなく薄暗い雰囲気が、月日の流れをますます感じさせる…。

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一息つくと、ホームに東急の車両を使った「7700系」電車が2両でトコトコやってきた。ホームは1面2線ながら、片方はほとんど使われていないような風情。

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全てに時代を感じさせる匂いが漂う。

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電車は、半分は地元客、半分は我々のような「葬式鉄」組を乗せて十和田市駅に向かって走る。

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途中の七百駅が車両基地になっているようで、後で訪問する事にする。

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「三農校前」「北里大学前」「工業高校前」「ひがし野団地」と、およそ「観光電鉄」という名に似つかわしくない駅名が続いて、終点十和田市に到着。

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普通の駅ビルに隣接した、随分とあっさりした、やや近代的な駅だ。

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味気ない雰囲気の、これまた「観光」には程遠い雰囲気…。東北新幹線の七戸十和田駅の開業で、利用客ががくんと減ったというが、それもうなずける…。

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見るものは余り無く、折り返しの電車で七百駅に向かう。

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これまた駅以外に何も無さそうなところ。降りたのは我々二人だけだった。

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無人の寂れた駅舎に哀愁漂う。

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駅舎内には廃線を知らせる張り紙。何十年もここで駅として機能していたものが、ある日を境にぷっつり役目が無くなる、都会では考えられないことが、ここでは間近に迫る。

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ここに置かれているのはED40という小型の電気機関車。そして、デビュー当時は「東北一のデラックス電車」と称されたというモハ3400形、そして緑に塗られたモハ3600形がポツンと置かれている。誰もいない駅で、最期の時を静かに待っている、という風情だ。

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暫く駅を歩いているうちに、空には青空が広がってきた。

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三沢へと戻る。もう再びこの駅に来る事は出来ない。

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この辺りだけ時計が止まっていたかのような雰囲気の三沢駅を、後ろ髪引かれる思いで離れて僕らの「葬式鉄」は終了。

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ガラス張りのデザインコンシャスな駅や、先進的なデザインの車両が次々登場する中で、こうして古いままで頑張る鉄道が消えて行くのは、何ともファンとしてはやりきれない。そうした鉄道の最期を目にすることが出来る時代にいるだけ、まだ幸運なのだろうか。

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隣にほんの少し歩いただけで、ガラッと雰囲気の違う青い森鉄道の三沢駅に移動する。青い森鉄道の701系快速電車で青森へと向かう。

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再び雪に埋もれた線路の中を、701系は力走。ロングシートでウトウトしているうち、青森駅に到着。

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入れ違いに行商のオバちゃんが折り返し電車に乗り込む。まさにいつぞや船の科学館の「羊蹄丸」の展示で見た写真が重なる…。

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駅前の食堂でホタテ定食で腹ごしらえ。

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続いて少し歩いて、青函連絡船「八甲田丸」を見学する。ここは前回の羊蹄丸よりさらに原型を留めた展示が多い。煙突のJNRマークも羊蹄丸が、再現されたものでややいびつな形をしていたのに対して、こちらが多分正しい縦横比のマークだろう。

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憧れのグリーン船室!

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特別船室の様子も昭和の香りプンプン。このベッドの毛布は当時、こういう風に折り畳まれてベッドに置かれていたとか。浴衣もJNRマークだらけ。

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ブリッジを覗くと、「余裕ある操船」というまた渋い看板。こういうのが所々見られるのが嬉しい。

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車両甲板には当時使われた車掌車に加えて、北海道特急の雄、キハ82が展示されている。実際に営業運転でこうして運ばれる事は無かった筈だが、古びた気動車が哀愁誘う。

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船のエンジンルームと操作室はまるで宇宙戦艦なイメージ。

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現役時代に乗れなかった後悔の思いを抱きつつ、近くのカフェで一服。

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今夜の宿泊地、五所川原に向け、今度はJRの701系、さらに途中でキハ48に乗り換えて向かう。

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日も暮れた5時半過ぎ、五所川原に到着。今夜の宿のビジネスホテルに入り、焼肉屋で夕食。夜の街を少し散策する。

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「のぶ子」さんには出逢えなかった…。

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